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気の向くままに・・・
岡田昌己です。
日常の中で感じたことを、気の向くままにらくぅに
「考える」ではなく「感じる」ブログを書いていけたら
と思っています。
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2018年03月03日
ルール
ルールは
守るためにある
ルールは
破るためにある
どちらが
ピンときますか?
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posted by 岡田昌己 at 18:00|
Comment(2)
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気の向くままに・・・
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この記事へのコメント
岡田さん
どちらもピンとくるような、こないような。
ルールは本来あるべき姿が失われ問題が発生するから、そこに戻すためにルールが設けられるのでしょうね。だとしたら、問題が続くようであれば守るためにあるのでしょうし、問題がなく元のさやに納まれば守る必要はなくなるでしょうね。
でも、何故ルールがあるのか忘れられて、いつの間にか「ルールを守る守らないだけのルール」になっているのが気になります。そんな時はルールは破るためにあるのでしょうね。
Posted by chappy at 2018年03月06日 12:51
chappyさん
「思い描いた姿を実現するために作る」のがルールだと思います。その思い描いた姿は、誰が?何を?どう導くために?となり、ルールそのものの意図によって、守るべきなのか、破るべきなのか、が決まるのだろうと思っています。
ルールそのものの正しさを問うことなく、chappyさんが書いているように、「ルールを守る守らないだけのルール」になっているルールも多いと思いますけどね。
ここまでが一般論的なルールのおはなし。
実はこのブログ、私自身に投げかけた質問でした。
自分の中には多くのルールが存在し、そのルールの意味を自分に問いかけた。そんなわかりにくいブログだったんです。すみません(笑)
Posted by 岡田昌己 at 2018年03月06日 20:14
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どちらもピンとくるような、こないような。
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でも、何故ルールがあるのか忘れられて、いつの間にか「ルールを守る守らないだけのルール」になっているのが気になります。そんな時はルールは破るためにあるのでしょうね。
「思い描いた姿を実現するために作る」のがルールだと思います。その思い描いた姿は、誰が?何を?どう導くために?となり、ルールそのものの意図によって、守るべきなのか、破るべきなのか、が決まるのだろうと思っています。
ルールそのものの正しさを問うことなく、chappyさんが書いているように、「ルールを守る守らないだけのルール」になっているルールも多いと思いますけどね。
ここまでが一般論的なルールのおはなし。
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自分の中には多くのルールが存在し、そのルールの意味を自分に問いかけた。そんなわかりにくいブログだったんです。すみません(笑)